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ブール George Boole(1815-1864)前 [人物]

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プールはイギリスのリンカーン市で生れた。 かれの父は靴直しをしていたが,哲学を好む教養の高い人であった。 ブール家の属していた階級はいやしいものとされ,正式の教育はうけられなかった。かれは貧乏人をあつめて教えていた小さな学校に通った。そのために幼いときは,父を先生にして, ラテン語やギリシア語の学習をした。

一時ブールは牧師になろうとした. かれの語学力は実にすばらしかったらしい. 16歳のときから4年間,2つの小学校の補助教員をやりながら、 両親の面倒をみた.この頃からブールはすこしずつ数学の本を買って読みだした。これは数学の本が他の本よりも安かったからだといわれている。 20歳になったブールは,自分で学校を開いた。いよいよ正式に教えるはめになったブールは教科書をみておどろいた。 それは内容があまりにも貧弱であったから. 数学とはこんなものではないことを知っていたブールは仕事がすむと、当時一流の数学者がかいた本を読みだした. かれはアーベル, ガロアはもちろん、ラプラスの 『天体力学』 やラグランジュの 『解析力学』なども読んだ.

ブールの最初の仕事は不変式論の基礎をきずいたことであった。これはその後イギリスではケイリー (1821-95) やシルベスター (181497) が熱心に研究して話題になった、当時のイギリスでは,学会の会員でなければ,論文を雑誌に発表できなかった。 ブールを知ったスコットランドの数学者グレゴリー ( 181344) は自分の編集する『ケンブリッジ数学雑誌』にブールの論文を発表するようにすすめた。 ブールはかれの好意によって,いくつかの論文を発表するとともに, グレゴリーとは一生を通じて, 交友をもっ1830 年代のイギリスの代数学は2つの方向にむかって発展した。 従来の代数学をそのまま発展させたハミルトン路線とピーコック (1791-1858) がかれの 『代数学教程』 (1830) で今日の代数系の考えを発展させた路線である。この本のなかで 「x(y+z)=xy+xz, x+y=y+αに含まれている文字 , y, 2,・・・は数を表わさなくてもよい」という考えを発表した。当時この考えに同調したのはド・モルガン (180671),グレゴリー 今日の電子計算機のハードウェアの思想をもち, 解析機関を作った。

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