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ブール George Boole(1815-1864) 後 [人物]

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プールはこの考えを論理学の領域へ適用しながら論理学の記号代数化をやってのけた。ブールがこの研究をはじめたのは,1つの理由があった。当時スコットランドにはハミルトン (1788?1856)という哲学者がいたところが不幸にも,この哲学者はなんでもすこしずつ理解できたのがアダとなった. 1836年に『エディンバラ評論』 という雑誌へ数学と数学者の悪口をかきたくった。 かれの論旨は,ほぼ次のようなものであった.まず数学は人間を改善する学問ではない.これほど効果のないものはほかにない.しかも数学はきわめて一面的で教養にならない, そして偏狭である。この学問は人間の内面的な教養としては有害である. 数学をやりすぎると知力がなくなる. 数学は論理的思考の訓練にはならん. 数学は精神をゆがめることはあっても、向上させない.
さらに哲学者 ハミルトンは何人かの数学者を指名して攻撃をつづけた。かれはましな数学者としてダランベール, パスカル, デカルト, スチュワード (1753-1828) などをあげた。 そして論理学者ド・モルガンヘホコさきをむけて「かれがもっと数学的でなかったら,まだましな哲学者になっていたかもしれん」 とやった。
だいたい哲学者というものは、よく非論理的な議論をするものである. これはその代表的作品であろう. 挑戦をうけたドモルガンは仕方なく論争にまきこまれたが,適当にあしらっていた。 ハミルトンの死後になったが,これをきいておこったのがドイツの有名な解析学者プリングスハイムであった。 「私はまことに恥いる次第である。 ハミルトンの論文を読むまで、偉大な数学者として指名された人々のなかに名を知らない人がいた,.., いわゆる大数学者としてあげられた人のなかには,科学者名簿にものっていない人がいたからである」と.
ド・モルガンとなかのよかったブールは、論理学について研究しながら,記号代数化をやってみたら,ド・モルガンが正しく, ハミルトンの説はナンセンスであることがわかった。そして1848年にピーコックの考えにもとづいた『論理学の数学的分析』を発表して, ド・モルガンを支持した。これをみたド・モルガンはブールの著作を絶賛した。

イギリスで前世紀にえられた代数学についての結果はホワイトヘッドの『普遍代数学 (1898) にまとめられたが、殆んど注目されなかった。 今世紀の30年代になってバーコフ,オーア,タルスキー, 正田建次郎などによって取り上げられ、 今日の代数系の理論が基礎づけられた。
一方ブール代数の数学のなかにおける重要性はアメリカのストーンの仕事 (1936) から認められ、つづいて,30年代の終わりに, 日本の中島章, アメリカのシャノン, ソビエトのシェスタコフが電気回路網の設計にブール代数の理論を利用した. これが今日の回路網の論理設
計の理論へと発展し、現代の技術はついに電子計算機として実現した.

※現代のコンピューター技術はブール理論が影響しているのは驚きで有る。
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