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IQ.300 の男「ノイマン part-3」 [人物]

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※IQ 300 凄すぎます。おそらく想像を超えた知能だったのだろう。
8桁のかけ算を暗算で軽くこなしていたそうです。

ノイマンの数学上の業績はあまりにも多方面にわたているので、くわしくのべることはとてもできないが、彼は 20 世紀前半の大数学者の一人にかぞえられる. 論文をみれば,ノイマンは強引に理論を構成し,目的にむかってまっしぐらに進み、できればよいという精神の持主であったようにみえる. 理論を芸術的な美しさまで高める仕事はその後の数学者によってなされたものがきわめて多い.
初期のすぐれた研究は,公理的集合論の構成であるが,ノイマンは関数概念を中心において公理化を試みた. これはその後, ベルナイズ (1888-1977)とゲーデル (19061978)によって簡単化され, 今日この公理系は NBG体系とよばれている.
 
1929年ノイマンはヒルベルト空間とその上の作用素の研究をした最初の2つの大きな論文をかいた。かれはこの問題に関連した論文をずっとかき続けると同時に、量子力学へ応用し, 量子力学の数学的理論に力をそそいだ。1932年、かれは 『量子力学の数学的基礎』を完成した。

1942年第2次世界大戦がおこり, 参戦国の多くの数学者は戦争協力をよぎなくされた. 1942年12月2日シカゴ大学の校庭でフェルミーが核分裂に成功し, アメリカは原爆製造への道をあゆみだした。当時アメリカのロスアラモス研究所ではオッペンハイマーが原爆の製造を指導していた. かれの要請でノイマンもこの研究所にはいった。

ノイマンのその後の純数学上の仕事としては,発表がおくれていた作用素環の論文の整理, バナッハ空間のテンサー積, 測度論と積分論について論文や著作があらわれたが, 戦時中、戦後はもっぱら数学の応用と電子計算機の製作に力をそそいだ.
いまさらのべるまでもなかろうが,かれとモルゲンステルンとの共著 『ゲームの理論と経済動向』 はゲームの理論の基礎をつくりあげたものである. 零和2人ゲームにおけるノイマンのミニマックス定理が広く知られている.

ノイマンは1943年電子計算機 ENIAC を完成したエッカート、モークリーなどと共同し、「計算機は内部指方式を採用し、1000語以上の記憶内容と1語40ビットの2進方式がよい」と主張した。
一方ブリンストンで、ブラウン管を記憶装置にもったIAS を開発した、これは1952年に完成した。この間にノイマンは ENIAC をつかって、グレゴリー数を用いての値とeの値を2000 ケタ計算してみせた、そしてシャンクスの計算のまちがいをみつけた、ノイマンはこのような電子計算機を実際につくる仕事とともに、この背景になっている理論つまりオートマトンの研究にも興味をもち、いろいろな成果をあげた。なかでもノイマンの自己増殖機構の研究は今後の問題を多く含んでいる。この問題についてのノイマンの遺稿はミシガン大学のバークス教授によってまとめられ, 『The-ory of self-reproducing automata』 として公けにされた。 ノイマンの主張は 25個のユニットをつかうと自己増殖機構ができるという。

1957年2月28日, ワシントンのウォルター・リード陸軍病院で亡くなった。 死因についてはくわしく発表されていないが, 仕事の上からみてガンのようだ.
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hagemaizo

この記事読んでいてIQ99の私の脳みそが爆発したら、それをノイマンの所為にするからね。
by hagemaizo (2024-06-20 18:50) 

Arc

hagemaizoさん、コメントありがとうございます。hagemaizoさんのIQもっとあると思いますよ。いつも素敵な写真ありがとうございます
by Arc (2024-06-22 09:18) 

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