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谷山 豊 その2 [人物]

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現在の東大では、数学の教官は大学院が本務で学部は併任であり、大学院の講義がたくさん開講されていて、学部の上級生はそれを聴講できるようになっている。これに対して旧制の大学院では講義はまったくなかった。聞くことができたのは、数学のごく基礎的な部分の講義だけであった。
53年3月谷山は数学科を卒業した。

卒業して大学院に入った谷山は、特別研究生に採用された。特研生になれば、何年か研究に専念する経済的保証が与えられるので、研究者の卵にとって有難い制度であった。こうして谷山は、研究生活に入ったのである。

54年9月谷山は理学部の助手となった。特研生の給費は大学に就職したので返さなくてよいと考えていた谷山は、特研生だった期間が短いので返済する必要があると知り、驚いて交渉したが、返済を一時猶予してもらうことしかできなかった。

55年12月 東大教養学部講師となった。微積分の講義で、微分より積分を前にやることにしたといっていたことがあり、対数関数や逆三角関数を積分で定義することができて、初等関数の理論を解析的に展開することが可能になると論じている。

58年11月に自らの命を絶つのですが、彼の遺書の冒頭は次の様でした。
「昨日までこうする明確な意思があったわけではない。ただ、最近かなり疲れて神経もかなり参っていることに気付いていた人は少なくないと思う。原因については明確な事は自分でもよくわからない。何かある特定の結果ではない。ただ気分的に言えることは将来に対する自信を失ったということ。これが一種の背信行為であることは否定できないが、今までわがままを通してきたついでに、最後のわがままとして許してほしい。」

彼は天才だと思うのですが、私には理解しがたい何かがあるのだと思わざる得ません。
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