SSブログ
スポンサーリンク

ガウス part-2 [人物]

ガウス2.jpeg

彼は、1795年3月に2次剰余の相互法則を発見し、それを帰納法によって証明した。
1795年10月にゲッチンゲン大学に入学した。そのころ彼は数学者になるか言語学者になるか定めかねていた。1796年3月彼は正17角形の作図法を発見して、数学者になる決心をした。
1799年7月にヘルムシュテット大学で哲学博士の学位を受けたが、論文はふつう代数学の基本定理といわれるものであった。つまり「複素数を係数とする代数方程式は複素数の根をもつ」というものである。彼の最大の業績である『整数論研究』は1801 年にライプキットで出版された。それは整数に関する以前の散発的な研究を体系化して、1つの学問分野として確立したのであった。

そこで重要な役割を演じたのは合同式
a=b (mod n)であった。それは a-bがnで割り切れることを記号化したものである。
それにつづいて,天体力学の研究がはじまる。そのとき1つの小遊星が発見され、その動道鉄定が大きな問題となっていたからである。
しだいに高まっていく名声は世界的になり,1802年にはロシアのアカデミーの通信会員に任せられる。
1807 年にガウスはゲッチンゲン大学の天文学を愛と
新しい天文台の台長に任命される。 死ぬまでそこに留ま
った。
その後、誤差法もしくは正規分布や最小2乗法の研究がはじまった。
また測地学の研究がはじまる。このことからはじまって曲面論の研究に手をつける。いわゆるガウスの座標を基本形式がここで発見される。さらに進んでガラスの率が発見され、今日の微分幾何学の礎石がおかれた。
ここから非ユークリッド幾何学への通路が見えてることになった。それは一般的にガウス曲率が定装となるような曲面上の幾何学としてとらえられるようになった。
また複素関数論では楕円積分から今日の代を装着の
萌芽が生まれた。

物理学では地磁気の研究から磁気の理論の基礎がおかれた。彼は長命であり、おのれのもっていた才能を完全に開花させることのできた点では幸運であった。

数学のあらゆる分野に手をのばし、各々の分野で最高の業績をあげた。質量ともにガウスに匹敵する仕事をなしとげた人は,彼の前にも,またその後にもまだ現われていない。
彼はどちらかというと古典的ではあったが,広い文化的趣味をもち,モンテーニュ, ルソー,ポルテール,モンテスキュー,ボアローなどを愛読した。しかしゲーテは全作品を読んではいたが,あまり高く評価しなかった。同時代に生きていたのにゲーテに会ったことはなかった。シラーは大嫌いであった。
彼はシェークスピアの悲劇は悲惨すぎて読めないと言っていた。彼はどちらかというとハッピー・エンドを喜ぶ素朴な読者だった。
nice!(143)  コメント(0) 

nice! 143

コメント 0

コメントの受付は締め切りました
スポンサーリンク