SSブログ
スポンサーリンク

ガウス [人物]

ガウス2.jpeg
ガウス
Carl Friedrich Gauss

アルキメデス、ニュートンとならんで、有史以来最高の数学者といわれるこの人は、1777年4月30日ドイツ(現在は西ドイツ)のブラウンシュワイクに生まれる。

ガウスは言葉を満足に話せるようになる前から、誰から学ぶこともなく計算ができたといわれている。彼がまだ3歳になるかならないかの頃、父親が職人達に支払う給料の計算をしていた時、彼は父親の計算が間違っていることを傍から指摘した。父親が驚いて計算をやり直したところ、息子が指摘した通りであったという。また酒樽の体積を求めるにはそれをスライスした面の面積を調べて積み重ねればよい、という積分の概念にも自力で到達していた。

7歳の時、小学校に入って、先生はJ.Gピュットナーという人であった。教室は天井が低く、先生は棒を手にもって歩き回っている。教室には100人近くの生徒が詰め込まれていたるそのころ棒を使うことは勉強や訓練のため最良の教育的手段あった。

10歳の時先生が次のような問題を出した。
「1~100までの数を書いて、それを足して答えを出しなさい。」先生はしばらく息をつきたいと思って、この問題を出したのだが、そうはいかなかった。数秒後にガウスは石版を机に置いて「できました」といった。他の子が汗を出して苦しんでいるのに、ガウスは涼しい顔をしてすわっていた。先生は疑わしそうにガウスを見た。ガウスの答えは5050であった。ガウスは計算の理由を説明した。それはつぎのようなものであった。

101が100だけあるから 101×100=10100、
それを2で割ると、10100÷2=5050 になる。

すっかり驚いてしまった先生は、自分には教えるものは何もないと考え、ハンブルグから算数の本をとりよせて、ガウスに与えた。あとでガウスは18歳のバーテルス先生と知り合いになった。この先生はガウスの天才を認めた最初の人であった。彼は後で数学の教授になった。
しかしガウスの父は2人の息子が家の職業をつぐように望んだ。高等教育を受けさせるだけの学費がだせるかどうか自信がなかったのである。
しかし、二人の先生は有力な保護者が現れるだろうと信じていた。1,788年にガウスは父の希望に反して、中学から高校に入り、そこで、ブラウンシュワイク公の保護を受けることになった。

学生時代に彼は素数分布の問題を研究し、整数nより小さな素数の個数はn/log n に近いことを予想した。
----------------------------------------------------------------------------
国籍 ドイツ
研究分野 数学
物理
研究機関 ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン
出身校 ヘルムシュテット大学(英語版)
博士課程
指導教員 Johann Friedrich Pfaff
1989年から2001年まで使われた10ドイツマルク紙幣にはガウスの肖像画がガウス分布の図、式とともに描かれていた。
2002年、国際数学連合とドイツ数学会はガウスの事跡を記念してガウス賞を創設した。
nice!(112)  コメント(0) 

nice! 112

コメント 0

コメントの受付は締め切りました
スポンサーリンク