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宿題の廃止が潮流か。 [社会]

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最近、学校の宿題を廃止する、あるいは大幅に減らすというニュースをよく耳にします。 学校の宿題に対する批判は以前からあり、 特に夏休みの自由研究や読書感想文の是非などは毎年話題になっています。


すでにいくつかの学校では宿題の出し方、分量についての再検討が始まっているようですが、 必ずしもいい結果ばかりが出ているわけではなく、議論の余地はありそうです。


確かに、現行の宿題に様々な問題があることは否定できません。 クラス全員に対して一律に課される課題は、ある人にとっては適切でも、 ある人にとっては無駄が多い状況が当然に起こりますから、全員にとって最適な宿題など存在しません。さらに、学校教育においては極端に高いもしくは低いレベルの生徒にフォーカスすることはできませんから、どうしても平均的な生徒に沿った内容の宿題になってしまうことも仕方ありません。

このような問題点がある一方で、 宿題が学習の道標となっているような生徒も確かに存在します。 これらの生徒は、自分でやるべきことを見つける
まではできませんが、学校の宿題に取り組むことである程度の学力を身につけています。 この生徒たちのように宿題を必要としている生徒もいることは、忘れてはいけません。ですから、宿題に問題があるからと言っても、一概になしにする。そして家庭学習をすべて生徒に丸投げするというのは考えものです。

では、宿題はどのような形が適切なのでしょうか。ある程度生徒のレベルに合わせて分量や難易度を分けるのがいいと思います。 特に成績上位層と下位層で学力の差が大きい公立中学校では、必要性は高いかもしれません。 もちろん理想は生徒全員に対して個別に宿題を提示することですが、これは現実的ではありません。
しかし、例えばテストの成績で上位層、中位層、下位層と分け、上位層は自由に家庭学習を進める。 中位層には宿題を提示する。 下位層は宿題ではなく補講や補習でサポートを行うといった方法も可能かもしれません。

全員が同じように学び、同じように進学し、同じように会社員として働く。そういった時代はとうに終わったのではないでしょうか。 現代における 「多様化」 というのは1つのキーワードです。 さまざまな生き方が認められるようになり、生徒が描くキャリアも多様化しています。 そんな中で、教育についてもその個々人にあったものを提供することの重要性は上がっています。 全ての生徒に個別最適化するのは不可能だとしてもある程度生徒の到達段階や、本人の意思を尊重した 「合理的区別」が現場でできるようになってほしいものです。
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