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ユークリッド part-2 [人物]

ユークリッド.jpg

ギリシャ数学の集大成が1つの理論体系としてまとめられていることは、まことに驚嘆すべきことだ。それで, ユークリッドをプラトン主義者に疑して, ブラトン多面体の完結を理想としたとも見られたが,最近の研究では各巻の数学の源流はある程度独立のようで,各巻の成立順序も一様でないかもしれないとされている。それにしても、 プラトン多面体が重要視されたことはやはり事実だろう。
逆に、プラトン主義というと「観念論」にコンプレックスを持ったり,なんでもプラトン主義とアリストテレス主義に分類したがる向きもあって,作図公準に導される構成について, アリストテレス的経験主義を読みこもうという考えもありうるが,ユークリッドの作図はすべて存在証明としての性格を持ってもいるので,イデアだからこそ存在定理が意味を持ったとも考えられる。一方,この種の構成型の存在定理をュークリッドの特色にする考えもあるが,素数の存在のような間接的な存在証明もあることだし、むしろこちらの方にエレア派の伝統を強調する立場もある。

「改悪」という批判をあえて受けながらの 19 世紀の大衆化版が,現在の中等教育の「ユークリッド幾何」であるが,それすらも,比例線とピタゴラスだけあれば間に合う,なんて言われている.これはデカルトに由来するのだろうが、たしかに, (a,b)を通って (α, β) の方向に平行な直線

x-a/α=y-b/β

には平行線の比例が,(a,b) を通って (α, β) の方向に
直交する直線

α(x-a)+β(Y-b)=0

には内積型のピタゴラスが使われているにすぎない。
この点では,私はプトレマイオス王を支持する。数学ではつねに「王道」が求められるべきであって,『原論』 13 巻を読んでからでなければ数学をやれないのなら、たいていは数学なんてヤーメタということになるだろう。デカルトは一種の「王道」を示したのだが, ユークリッドの時代には,いかに神権的な王であろうとグラマーな女王であろうと,その「王道がなかった」こと
冷厳な事実である。

個別的な業績については,現代の人間から見てすばらしく思えるのは,第7巻から第9巻へかけての数論の方ではなかろうか。私には,むしろこの方が古さを感じさせない。

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