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管元総理の弔辞の問題点 [社会]

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①優生思想 の問題点

菅元総理氏は

「天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか」と続けている。

『よりにもよって』を漢字で書くと『選りにも選って」。この言葉に、選ぶならほかにもっと適当な人がいるのにとの意を感じる」。「よりにもよって」との修飾語は「いのちを失ってはならない人から」にかかる。 とすれば、「この一文で、他に選ばれるべきだった者、すなわち死んでもかまわない人の存在を認めている。まさに優生思想の考え方そのものだ」。
「安倍政権は生産性の有無で人の価値を決め、弱い立場の人を切り捨てる一方、森友・加計学園問題のように身内を優遇する選別政治を行ってきた。この一文を見て、ああ、やっぱりと思う人がいても不思議ではない。『いのちを失ってはならない人」ではなく、単純に、『私の大切な友人」にでもすれば、何の問題も違和感もなかっただろう。


②「山県有朋」及びBGM の問題点

特に見過ごせないのは、管元総理が弔辞のクライマックスに安倍元総理が読み掛けだったという山県有朋を取り上げた本に触れたことだ。

「山県有朋」と言えば藩閥政治、言論弾圧の象徴だ。山県の死去時、雑誌記者だった石橋湛山はコラムで「死もまた社会奉仕」と痛烈に批判した。「強権政治の親玉のような山県を持ち出すとは、驚くばかりだ。管元総理は自民で首相も務めた石橋が批判した逸話を知らなかったのでしょうか。

さらに、献花の際のBGMの一曲に、歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲が使われていた。
この歌劇は、主人公が元カノと不倫していたのがバレ、元カノの夫と決闘して殺されるという話で、どう考えても「国葬」にふさわしくはない。


③政治利用 の問題点

駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「自民の身内として、菅氏が情感に訴える表現で安倍氏を悼むことは理解できる。
だが、国葬の弔辞で安倍政権や政策を賛美するのは危うい。政権の全てを正当化し、異論や反対論を封じることにつながるからだ」とし、こう警鐘を鳴らす。
「安倍氏の死を悲しむことと、政権や政策への評価は本来、全く別のはず。それが今回の弔辞では一体化し、まさに政治利用と言わざるを得ない」
なぜ、この管元総理の弔辞が賞賛されたのか全く理解できない。
うるさい国会も司法も無視し、何事も「行政の総合的判断」で決めてしまいたい。そんな「令和の超然主義」を地で行くような安倍・菅・岸田政権の性格をよく示したとも言える。


※テレビやマスコミも国葬や管氏の弔辞批判は避ける雰囲気を感じる。批判はあまり聞こえてきません。この空気感こそが危険な気がしてなりません。
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