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高等教育の将来像 [社会]

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1970年代前半には欧米で指摘されていた知識社会という考え方が日本に本格的に導入されたのは、2000年代に入ってからのことであった。 2000年代初頭に、 知識基盤経済が台頭することが指摘されていた。しかし、 知識基盤社会 (Knowledge-basedsociety) が初めて定式化されたのは、 2005年に発表
された文部科学省中央教育審議会の「我が国の高等教育の将来像 (答申)」 であった。 この答申は、次のような一文からはじまる。

「21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる 「知識基盤社会」(Knowledge-based society) の時代であると言われる。」

このように知識基盤社会を定義しているのである。そうすると、知識基盤社会と知識社会は同じことを指すのか、そうでないのかという疑問が生じる。 これについて、この答申の巻末にある 「用語集」 をみると、 類義語として「知識社会、知識重視社会、知識主導型社会等がある」と指摘されている。 答申を読み進めてみると、 知識基盤社会の特質について言及されている。
それは、
① 知識には国境がなくグローバル化が進展する。
②知識は日進月歩であり、競争と技術革新が絶え間なく生まれる。
③知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く、幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要となる。
④性別や年齢を問わず参画することが促進される。
の大きく4点である。 これらの知識基盤社会の特質は、P・F・ドラッカーが提唱している知識社会の特徴とほは同じである。したがって、 知識基盤社会も知識社会も本質的には同じことを示しているといえる。

結局、 知識社会とは何か。 知識社会とは、知識が重要な役割を果たす社会である。 ここから具体的に2つの点がいえる。 ひとつ目は、物理的な資本や労働よりも相対的に知識の重要性が高まるということである。 つまり、知識や情報が社会の資源の中心となる。 すると、 知識や情報をつくりだす知識労働者は高い報酬を得られる。 他方で、 サービス労働者と呼ばれる人たちは安い賃金にとどめられる。 サービス労働者は、 マニュアルなどの知識を消費しながら労働する労働者といえばわかりやすいだろう。今後、知識を持つ人と持たない人の間の格差は確実に広がっていくことが予想される。 これは知識社会における社会問題ともいえる。いずれにせよ、 高学歴であろうと職業を失うリスクにさらされる社会となる可能性がある。 私たちは、 職業を「高スキルと低スキル」 で捉えていたが、 今後はルーティンワークと非ルーティンワークで考えていくことになるだろう。 例えば、高学歴で金融を学んでトレーダーとして活躍していても、その職務がルーティンであればAIや自動化にとって代わられるリスクが常にある。 よいか悪いかの判断はおいておくにして、私たちの社会は創造性を常に求められるようになっている。


そこで知識社会のふたつ目の論点として、知識を得るためのコストが低下することをあげよう。われわれの社会は、テレビやインターネットを通じて、これまでよりも簡単に知識や情報を収集できるようになった。例えば小学生が壁新聞を作ろうとするとき、まずは図書室に行って、資料を見つけてノートに写して、教室に戻って新聞原稿用紙や模造紙に写して・・・云々。 現在では、壁新聞はプレゼンテーションソフトにかわり、 調べものはインターネットで調べる・・・などといったようにコストが低下している。このように知識が多く流通し、手軽に使えるようになることで、どのような課題が生じるのだろうか。これまでみてきたように、 知識を生み出すことによるインセンティブが高まれば、 知識はたえずアップデートされることになる。そうなると知識のライフサイクルは早まり、 陳腐化する速度も早まることになるだろう。
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